退院

夫は、救急搬送された急性期病院に約1ヶ月入院し、

その後、リハビリ病院に転院し、約3週間で退院となりました。

夫が退院することになり、家族はとても喜んだのですが、

退院がゴールではなく、退院してからが始まりでした。

 

病院では、一人で歩けるようになるのと、箸を使って自分で食事を食べられるのが退院の目安のようなんですが、

夫の場合は、右半身に運動障害、左半身に感覚障害、温痛覚障害なども残っていて、

退院後の生活はかなりキツイです。

身体の痛みや痺れ、疲れやすい、だるい、背中が常時熱い、便秘などの身体的苦痛と、

この体の状態を受け入れ付き合っていくという精神面での葛藤。

今の状態より悪くなるのか、良くなるのか、もし良くなるならどれくらいで良くなるのか・・・という先の見えない不安。

 

退院直後の夫は、辛くて毎日泣いていました。

私は、側にいて話を聞いてあげるくらいしかできなくて。

「これからも一緒に生きていこう」って言うのが精一杯だった。

 

受傷後6カ月経った今でも、時々だけど、辛くて泣いている時があります。

でも、なんとか今日まで前向きに頑張って来れたのは、大変な時期に元気に生まれてきてくれた息子のおかげだなって思います。

赤ちゃんって、癒されるし元気をくれる。

「赤ちゃんは自分の親を選んで生まれてくる」って説、ありますよね。

息子は、私たち夫婦を前向きに生きるよう、励ますために生まれてきてくれたのかも。

 

 

 

 

奇跡の始まり

夫は自宅から遠い大きな病院に入院することになった為、すぐにはお見舞いに行けず、搬送された2日後にやっとお見舞いに行くことができた。

 

病院へ向かう途中で

「メールならなんとか」

と、夫からメールがあった。

メールができるまで回復したことと、連絡手段ができたので、これは非常に嬉しかった。

 

病室へ入ると、ベットの上でぐったりと横たわっている夫が居た。

「大丈夫?」と声をかけると、

「なんで来たの!!」と、ちょっと怒った口調で言われた。

長時間かけて病院に来るのは身体に負担がかかるから、お腹の子のことを思っての言葉だろう。

 

ベットに横たわっている夫は、左手・左足がわずかに動くが、右手・右足が動かない状態だった。

怪我をして搬送される時は、首から下が全て動かなかったらしい。

怪我をした3時間後くらいから左の手足が少しづつ動くようになってきた。

これが奇跡の始まり。

 

左の手足が少し動くが、基本的に自分では何もできない状態で、

看護師さんにベットのリクライニングを調節してもらったり、

体の向きを変えてもらったり、ご飯を食べさせてもらったり、歯磨きをしてもらったり・・・。

「赤ちゃんみたいでしょ」と、冗談交じりに話す夫。

 

ある日突然、思いもよらぬ大怪我をして身体が不自由になり、落ち込んでいるんじゃないかと夫のことを心配していたが、思いがけず元気で安心した。

でも明るく振る舞っていたんだろうな。

 

帰る際、私は元気な赤ちゃんを産むのを頑張るからお父さんはリハビリ頑張ってねと約束をして帰って来た。

 

 

 

 

病院から告げられた病名は「頸髄損傷、四肢麻痺」

「こんな恰好してるけど、大丈夫だから」と言って、ドクターヘリで運ばれて行った夫。

病院から告げられた病名は、

「頸髄損傷、四肢麻痺

という衝撃的なものだった。

 

「頸髄損傷」でネット検索してみると・・・。

ネット社会は便利だけど、時には残酷でもある。

 

頸髄を損傷すると、運動機能の障害、感覚機能の障害、自律神経の障害、排泄機能の障害があるようだ。

 

この時は、無意識に悪い情報ばかり見てしまっていた。

 

3人の子供とお腹の子のこれからの事も心配ではあったが、

それ以上に、ある日突然、思いもよらぬ大怪我をして不自由な体になってしまった夫のことが可哀そうでしょうがなかった。

夜、子供達が寝た後、夫が可哀そうで大泣きしてしまった。

 

青天の霹靂~ある日突然の思いがけない怪我

3ヶ月前のとある日、外出中の夫から携帯に電話があった。

「転んで頭を打った。これからドクターヘリで運ばれることになったから。」と。

ドクターヘリだなんて何だか大げさだなと思いながら、夫がいる場所へ向かった。

 

すると、夫が担架で運ばれている。

ドクターヘリも到着して、騒然としている。

ドクターヘリのお医者さんから、

「(怪我した)場所が場所なので、念の為、精密検査をしますので、病院へ搬送します。」との説明があった。

 

夫は、

「こんな恰好してるけど、大丈夫だから」

と言って、ドクターヘリで運ばれて行った。

 

後から思えば、妊娠中の私を心配させないようにと思いやりの言葉だったのだろうな。

 

 

はじまして

ある日突然、夫が頸髄損傷という大怪我をしました。
その時、私は臨月でした。

3人の子供がいて、翌月には四児の母になる予定で、そんな時に夫は予期せぬアクシデントが・・・。


夫の頸髄損傷からの奇跡の回復の様子と、後遺症に苦しむ夫を支える家族の様子を綴っていきます。


怪我をした本人はとても辛いと思います。そして、陰ながら支える家族も大変だと思います。

頸髄損傷は、100人いれば100通りの症状があると言われています。

夫は回復の途中で、様々な症状が少しでも改善されるようにと日々模索中ですが、

頸髄損傷された方やそのご家族などに、少しでも参考になればという思いで、日々の症状や試してみた事や役に立ったグッズなども書いていきたいと思います。